万葉の庭

 


万葉の昔、門司の大里から小倉にかけての海岸は、企救の長浜または高浜と呼ばれ、また洞の海の戸畑側の海岸は飛幡の浦と呼ばれていました。白砂の海岸に美しい根上がり松が群生し遠く太宰府に往来する貴人、防人、旅人の心を慰めたものです。昭和46年いにしえの面影をしのび古代万葉の詩情を現代に生かす目的で、この地にゆかりのある歌6首を選び「万葉の庭」が建設されました。



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